Story
東京のお笑い界の極北、アンダーグラウンド。テレビにも出ない、大手事務所にも所属しない、名も知れぬライブだけに生息する芸人たちがいる。彼らは「地下芸人」と呼ばれる。そこで「帝王」と呼ばれる孤高の芸人、横須賀歌麻呂。彼は、自らの芸風をストイックに追求する生き様で、地下芸人仲間から畏敬の念をもたれる存在だ。しかし、その現実は厳しい。バイト生活でアパートの家賃もままならない。そして年一回の単独ライブの経費が重くのしかかる。
彼の創作意欲を支えるのは、ミューズとも言える一人の女性ファン(柳ゆり菜)。彼女の期待に応えるべく、夜ごとネタ作りに励む横須賀だが、次々に襲いかかる困難のために心身はボロボロになっていく。
創作か?破滅か?狂気に取り憑かれた横須賀は、禁断の道に足を踏み入れる。それは、笑いに身を捧げた男が堕ちていく、超妄想劇の始まりだった…
Comment
下ネタに関してワタシは自信があるほうなのですが、この映画を見て、横須賀歌麻呂にはとてもかなわないと実感させられました。
たみゃらん。それは例えば兼業で休日の多い熟女デリヘル嬢が、客を昇天させる技術では、専門職のソープ嬢にかなわないのと同じよーなものであります。
ともあれ、決してお金にならない、下ネタという業を背負って表現していく姿は実に清々しく、
明日も生きていけそうな希望が見えてくるのでした。
つまりこれは令和の時代に再構成された、ヤクザの出てこない東映ヤクザ映画。
そのことに気づいたら玉山鉄二のアレは、山城新伍に見える。
もし東京アディオスがアホじゃなかったら俺は立ってられないぐらい泣き崩れていたかもしれない。
もし東京アディオスがアホじゃないとすれば、絶望か。
しかしその絶望を味わった人間だけが見れるキラキラしたアホがこの先にあると信じてる。
哀れでも狂ってても何でもいい。好き勝手馬鹿にしろ。
このまま泣きながら「さよなら」なんて言ってたまるか。
だから俺は東京アディオスを最後まで笑いながら見たんだ。
下ネタに全てを懸けた男の生きザマを見よ。
エロの奥に隠されたその繊細な想いを、ぜひ感じて欲しい。何かを追求する者の心を深く抉る作品。
われらは持たざる者である。金も権力も魅力もない。
何も手に入らず、すべては誰かのものである。
それをわれらは青春と呼ぶのである。手の中にあるのは怒りだけだ。不満だけだ。
どうしようもなく爆発したい何かへの渇望、身を焦がす飢えだけなのだ。
今まで何処に隠れていたのだ?
地下芸人の下らなさを少しも持ち上げることなく見事に「つまらない下らなさ」として描く監督の手腕に脱帽!
なんて美しんだろう。
心の深海に潜む人間の弱さと業を大塚監督が引き上げて白日の下にさらけ出してくれた。
所在なき魂は何処へ向かうのか?その表現にリミッターはない、そして悲しくも切ない物語だ。
猥雑でパンクな、男という生き物の愚かさ・馬鹿さ加減と悲哀に満ちた人間喜劇、人間賛歌の秀逸作だと思います!
自慰行為に耽る玉鉄、役を楽しんでいる村淳、主役はもちろん各キャラクターの粒だった味わい深い演技に感心しました。やはり大塚さんは手練れの監督だなあ~と思いました。
大ヒットするかどうかなんて保証はできませんが…
圧倒的にコアなファンがつく映画である事は保証します!
見てはいけないものを見せる超妄想。
現実か非現実か。その狭間にこそ笑いと驚きが生まれる。
さすが超魔術を生んだ監督だ。この映画をみてその時の感覚を思い出した。
人は「気がすむため」に生きている。ドーパミンに操られながら。
ロックでパンクで演歌なサガに、生き様は祈りのゴスペル!
泥中からの孤高の雄叫びと、監督の愛!生きるって大変。でも、生きて生きて生きて!